今回は、Borussia Mönchengladbach(ブンデスリーガ、ドイツ1部)に所属する児玉桂子選手にお話を聞かせていただきました。
2回に渡り、掲載致します。
ー 本日は、お時間をいただき、ありがとうございます。よろしくお願い致します。
よろしくお願いします。
ー はじめに、ドイツでの所属クラブについて教えてください。
チームは、Bundesliga の Borussia Mönchengladbach です。
以前に、大津祐樹選手が所属していたチームの女子チームです。
先日まで、9月中旬にした怪我のリハビリしていましたが、今は無事に復帰しています。
ー どのような経緯でドイツでサッカーをすることを決めましたか?
小学生の頃に見たドイツ代表がものすごく強くて、その憧れが大きいかったです。
兄の影響で、小学1年生からフットサルを始め、その後にフットサルチームのコーチが監督をしているサッカーチームで、サッカーを始めました。
小学校4年生でした。
ただボールを蹴るのが好きな、サッカー少年のような少女で、卒業文集にドイツでサッカーをすると書きました。
普通の女の子のような可愛いことはあまり書いていませんでした(笑)
中学生になってからはあまり口にはしなかったので、あまり知られていない想いだと思います。
サッカーを始めた年がちょうど日本で行われた2002年の日韓ワールドカップの時で、地元にイタリア代表が来てくれ、とても身近にワールドカップを感じました。
しかし、兄がオリバー・カーンが大好きだったので、イタリアではなく、一緒になってドイツを応援していました。
もちろん日本も!!(笑)
戸田選手のヘアーや稲本選手の活躍、鈴木選手のつま先シュートが印象に残っています。
コカ・コーラさんがやっていた、スコアを当てて、何処かの国のタオルが当たるというキャンペーンで、見事スコアを当てて、奇跡的にドイツのタオルをもらえたのがとても嬉しかったです。
なので、日本とオリバー・カーン(そのW杯最優秀選手)を応援していました。
その翌年に行われた女子ワールドカップで優勝したドイツが男子の中でサッカーをしていたこともあり、女子サッカーを全く知らなかった私にとってとても印象的でした。
ー その頃からドイツを意識していたのですね。すごい!!その後もサッカーを続けていくわけですよね?
はい、中学生になり、”FC MIYAGIバルセロナ” というチームに入りました。
男子登録でやると決めて入ったもののチームメートは、上手い選手しかいなかったので、練習について行くのに必死でした。(男子登録で大会にも出ていました。)
女子の選抜に呼んでもらって、ナショナルトレセンに行かせてもらうことができ、女子の全国レベルの選手とトレーニングができたのも良かったです。
高校は、地元の常盤木学園高等学校に行きました。
阿部先生が私を発見してくれたのが私にとって1つのターニングポイントでした。
女子の大会に出ていない上に見た目も男の子のようだったので、全く誰にも知られていない私に練習試合をした時に、声をかけてくださいました。
それがきっかけで、入学することになりました。(入学時の3年生に熊谷紗希選手や桜本尚子選手、後藤三知選手などがいました。)
全国優勝や全日本女子サッカー選手権大会3位、年代別の代表の合宿に呼ばれることもあり
身近で日本のトップレベルの選手を感じることができました。
卒業後はアルビレックス新潟に入団しました。
新潟医療福祉大学で、高等学校体育教員免許とサッカーC級コーチライセンスを取得し、4年間メディカルフィットネス、1年間ロコパーク、アルビレックス新潟レディースで5年間、大学に通ったり働きながらプレーをしました。
怪我が多かったこともあり、新たな挑戦として、新たなところでプレーすることを決意し、AC長野パルセイロレディースに移籍をしました。
在籍した2年間は、素晴らしい芝と2年連続来場客数日本一のサポーターが応援してくれる最高のスタジアムで戦うことができました。
ホームではあまり負けなかったのは、サポーターの皆さんと、準備をしてくださった方々のおかげだと思います。
いろんな方に相談をし、今の所属チームから練習参加の連絡を受けたのですごく悩みましたが行くなら今だなと思い、たくさんの方に協力していただき来ることができました。
サポーターの皆様には直接ご挨拶することができず本当に申し訳ございません。
後編へ続く
(後編:ドイツでの苦悩と今後の展望)
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“児玉桂子、念願のドイツへ 〜現状報告と挑戦の経緯〜” への 1 件のフィードバック